2006年 08月 22日
昨日一昨日、東京に住む妹が三人の子どもを連れて泊まっていった。子どもは下から2才の男の子、小1の女の子、小4の女の子。このような年齢の子どもが三人いるとまあにぎやかだ。わいわいしゃべったり遊んだり、少しすると必ず大小のぶつかりあいが発生してはケンカとなって騒然とし、その後は泣き声でまたにぎやかになる。その繰り返し。二日間相手にしているだけで何だかちょっとグッタリしてしまった。 そんな3キッズが台所床の飼育プラケースを見つけた。そこには今クワガタ、カブト、ヤスマツトビナナフシ、ナナフシモドキなどが並んでいる。 「これ何入ってるの?!見ていい?」 と当然そういう流れになったので、クワガタのケースを開ける。そこには先日三郷から連れ帰ったノコギリクワガタオスが大アゴ開いて鎮座している。 触ってごらんというと、これがダメ。上の子は「痛そうだし」という。上の女の子二人はケースわきにおかれていたカブトムシオスの標本なら持つことが出来た。それを下の子の頭にのせて遊んでたくらいだが、生きクワガタには触れることができなかった。 気になったのは一番下の二才の男の子の反応。興味はあるようなのだが近寄るのがダメ。ノコギリクワガタだけでなく、標本のカブトムシであっても、体に触れるとワッとさわぐくらいに嫌がる。彼がその間、唯一発した言葉が「コワイ!」。あれ?と思う。 日常的に虫と接する生活をしているとついつい忘れがちになってしまうけれど、世の中を見渡してみれば「虫スキだわ、カッコイイ」よりも「虫キライ!」という方が多いことだろう。さらにいえば、とくに大人の方では、スキ、キライよりも虫のことなどほとんど意識にないという方が大多数かもしれない。 虫キライという中には「虫コワイ」がかなり含まれているように思う。これらのアンチ虫感情は、子どもから大人になるまでのどこかの過程で後天的にさまざまに作られてきた部分が多いんじゃないか、と思ってきた。何かの虫に実際に危害を加えられたとか、「ギャー!虫!あっちいけ!」という大人の発する信号を受け続けるとか、そういった特別な体験をしてないかぎり、子供たちはたいてい虫好きとまでいかなくとも興味関心はあって、少なくとも妙な先入観はもってない、と思っていたのだ。 ところが、この二才の男の子はおそらく生まれて初めて見たノコギリクワガタオスを「コワイ」といったのである。この子はものおじしないタイプの子どもだ。母親と別々になって、ほとんど初対面のオジさんである僕と温泉に入ることにも抵抗がなく、テーブルの上にあるものはすべて口に入れて食べてみないと気が済まないといった具合の子だ。ところがその子が「クワガタ、コワイ」なのである。 そもそも人は生まれて初めて目にするものには多少警戒するようにできている、ということなのかもしれない。あるいは、この子はトゲに引っかかって痛い思いをした経験がすでにあり、クワガタのアゴあるいは足のトゲに警戒心を抱いたのかもしれない。このあたりは未だよくわからないのだけれど、それでも二才の彼にとってクワガタはコワイのだ。 彼の中でクワガタはこれからもコワイ存在のままに生きつづけるのだろうか。今回の体験はマイナスイメージに少し加担してしまったかもしれないなあ、とちょっと反省。あるいはどこかで「クワガタ、カッコイイ」へと変貌するかもしれない。そんな劇的な変化は何によってもたらされるのだろうか。あるいは多くの方々のように、めったに意識にのぼらない無関心の対象になりさがっていってしまうのであろうか。 何年か後、ノコギリクワガタのオスに再会したとき、彼は何て言うだろう。
by narwhal2
| 2006-08-22 17:43
| コウチュウ目
|
ファン申請 |
||